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機関紙「住団連」
  • 『機能ということ』
  • 北海道大学教授  平井卓郎
  • 1月17,18日は、大学入試センター試験の監督で休日出勤となった。何とはなく手に取った国語の問題に、今道友信「愛について」の一節が引用されていた。同文の趣旨は次のようなものであった。
  • 例えば水を飲むとき、一昔前はガラスのコップに入れて飲み、飲み終われば大事に洗ってしまっておいたのが、今では紙コップを使い、飲み終われば捨ててしまうというようなことが普通になっている。水を飲むという機能だけが必要とされ、その機能を果たすものでさえあれば、どのような事物でもかまわない、そして不要になれば捨ててしまってよい、という考え方になっている。ものを大切に保存して使うという考え方の中では、子供の時から愛着や懐かしみという形で、知らず知らずにものを愛するという考え方が養われるのだが、今はそれが失われてきている。
  • 今道氏は、このような機能主義は、現在では物だけではなく人に対しても同じように適用されているのではないかと指摘し、そこから愛について話が進められて行くことになる。もとより、脳味噌すべて形而下にある私が、氏のように愛について語るつもりは毛頭ないし、入試問題の一節に記された愛という文字にさえ目を吸い寄せられてしまうほど、悲惨な日常生活を送っているわけでもない。
  • エンジニアである私が関心を持つのは、むしろ機能ということの意味である。私たちの生活の場である住宅には、言うまでもなく様々な相反する機能が求められる。優れた住宅設計とは、言ってみれば、いかにうまくそれらの折り合いを付けられるかということに他ならないように思う。
  • ここ2,3年、私が杞憂に感じていることが一つある。それは阪神大震災以降、雨後の筍のごとく現れた木質構造の専門家が、あちらでもこちらでも少々教条的過ぎる耐震論を説いて回っていることである。これは一面、木造住宅の構造設計者がそれまでいかに日陰者の身に甘んじていたかの裏返しでもあって、私も心情的には同類である。しかし、表層的な機能主義はしばしば進むべき道を誤らせることを十分理解しておく必要がある。
  • いかに耐震的であろうと、生活空間として快適で愛着を持てる家でなければ、永く住み続けたいとは思わないであろう。そして、一時的に構造安全性が偏重された後には、必ずそれが軽視される時が来ることも私たちは知っている。ひとたび記憶が薄れれば、地震の怖さより、居間に満ち溢れる朝日の方がずっと説得力を持つからである。私たちが目指すべきは、限られた数年間に極めて耐震的な一群の木造住宅を建てることではない。一定以上の耐震性を持つ木造住宅を永続的に建て続けることである。それを可能とするのが本当の機能であろうし、それを実現するのが本当の技術であろうと思う。

 

 

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