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機関紙「住団連」
  • 『住宅の研究に生物学的発想が欲しい』
  • 千葉工業大学理事・教授
    日本インテリア学会会長  小原 二郎
  • 住宅産業の歩みを振り返ると、私の記憶では、その間に目標とするイメージは4回変わって来たと思う。 最初の目標は「量」であった。戦後で大量の住宅不足を埋めることが急務だったからである。やがて不足が埋まると、二番目の目標は「質」に移った。次の三番目は「快適性」で、アメニティという言葉が流行した。その新鮮味が薄れてくると、四番目は「健康」になった。そして理想の住まいの条件は高気密・高断熱だとされた。しかし平成8年以来事情は大きく変わることになった。マホービンのような家はガス室と同じ危険性があるという疑問が出たからである。それによって住宅業界は大きく揺れた。「新築病」という言葉がその騒ぎを代表している。
  • ところで私の専門は人間工学だが、その立場からみると、これまでの住宅産業の歩みの中で、主人公の人間が生き物だという基本を忘れたために、軌道修正を余儀なくされたことが二度あったと思う。その1つは精神面における配慮が欠けていたためで、もう1つは肉体面における対応が不適当であったための軌道修正であった。
  • 最初の例はハウス55の終った後の昭和57年の修正である。ハウス55は昭和51年から55年にかけて行われた国のプロジェクトであった。それは自動車産業の技術に習い、大量生産、大量販売の方法によって、庶民に安価で良質な住宅を提供しようという企画であった。それは5ヶ年の歳月と17億の金を使って一応の目的を達成したが、その成果を顧みて気がついたことは、家というのはまず気候風土があって、それに長い生活体験が加わって生れてきた、文化の産物とでもいうべきものである。だから地方ごとに違いのあるのが本来の姿だ。それなのに工業化によって同じ家を大量に造って、北海道から九州までばら撒いたら、日本文化の破壊につながる恐れがある、という反省であった。そのことは音楽にたとえて説明するとよく分かる。名器を作ってばら撒けば、誰でも名曲が弾けるという錯覚と同じではないか。どうすれば名曲が弾けるかというソフトの研究が欠けていた。これでは雑音が出るばかりで名曲は弾けない、ということに気がついた。そこで「住まい文化推進運動」をおこして、ソフト面を補ったのである。つまり家の主人公は、ばらばらの個性を持つ生き物だという基本を忘れていたことへの反省であった。
  • さて第二の例はこのたびの健康住宅問題である。家を容れ物と考え、それを工学的な立場で作るとすれば、高気密・高断熱が理想像であることは間違いない。省エネに役立つし、室内気候も望みのままにコントロールできるからである。だが主人公が生き物だという立場に立てば、高気密の部屋はガス室と同じ危険性があるし、恒温恒湿の環境は生き物にとっては理想の空間とは限らない。さらに清浄化を進めて無菌化にすると、人間が本来持っている抵抗力が衰えて、生命力を弱くする恐れもある。「保護すれば弱くなる」というのは生物学の大原則である。体の弱い人には保護が必要だが、健康な人にとっては「保護と訓練のバランス」こそが重要である。以上のように考えてくると、これからの住宅の研究に必要なものは、生物学的な発想であろうと思うのである。

 

 

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