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機関紙「住団連」
  • 『「住宅」は文化度のバロメーター』
  • 日本建築家協会・アメリカ建築家協会 建築家  久野 和作
  • 街並みと住民意識
    アメリカでは住宅街における敷地境界線にたいする認識が日本のそれと異なっているようです。境界線の外の歩道と縁石まわりまで、自分の家の一部のごとく掃除をします。それは自分の家のフロントヤードと考えているからです。もし街路樹の根が歩道の敷石を持ち上げヒビが入りそこを歩く人がつまずいて転んだりすると、そこの管理を怠り処置をしなかったことにより責任を取らされることがあります。前庭も含め自分の敷地前もコモンスペースであり、近隣コミュニティー意識のなかで存在しているのです。つまり宅地の隣地境界線や道路境界線は謄本上の仮想の線にすぎず環境の共有化を計っているという考え方です。
    住まいづくりとは境界線で仕切られた敷地内部を充実させることだけでなく、隣人や街行く人といった『街並みの形成』でコミュニティー意識を育むことをも含めて街づくりレベルで考えることだと言えます。
  • 日本家屋にあった文化
    岡倉天心「茶の本」の一節に『利休が息子に客人のために庭先の掃除を命じ、終わった頃、利休が尋ねると息子は清掃は完璧に終わったことを告げます、すると「ばか者、露地の掃除はこうやるのだ、と言って利休は庭におり立ち樹を揺すって、庭一面の葉を散らした」というのがあります。利休の求めたものは清潔のみではなく美と自然と粋の精神を教えたかったのでしょうか。
    谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」に日本古来の光について文学的観点から絶妙でかつ詳しい機能分析がなされています。「あかり」の本質が文学書に記されていて、その分析力と感性の豊かさに驚きを覚えます。障子は内外の空間を仕切る以外に配光効果を持っていたなど洞察しています。「陰翳礼讃」を読んで日本の文化を知る外国人から 、現代の住まいや建築内にあの「あかり」に対する日本人のセンスと精神を捨て去ってしまって、何処へ行ってしまったのか・・」とよく言われます。
  • 暮らしの中で育む
    人間形成は学校での知識の吸収だけでは果たせず、家庭教育の担う部分が多い訳ですが、この「家庭」という中に住宅や近隣も含め「暮らし」が持つ役割は大いにあると考えられます。
    多くの人との出合いや異国の暮らしを見たり交流した体験、様々な建て主と家創りをして来た経験から言えるのですが、良い住宅を創りそして住みこなすためには、どんなに頑張った建主がいても、一世代で得た知識、得た学歴、得た資金があっても持ち得ないものがあります。それが所謂『育ち』というものでしょうか。もう少し言いますと、少なからず三世代に渡って『本来の住宅』に暮らした家庭教育が積み重ねられないと出来ないと言える由縁があると考えます。そんな意味でいつも住宅の設計では私が建主さんに「お子様にも意見を聞きたいので打ち合わせに参加させて下さい」と申し上げています。本当の狙いは次世代目として住宅の出来るまでを子供心ながら感じていて欲しく思うからです。住宅環境の充実が国の文化度を支えるバロメーターとも考え、そんなグローバル基準に答えられる世代が暮らしの中で「文化」を育んでいって欲しいと広義にとらえて住宅設計活動をしております。

 

 

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